チベット横断① ラサからギャンツェ

ラサ ギャンツェ ランドクルーザー

朝9時、ラサの宿の前に迎えにきたランドクルーザーに荷物を詰め込んで、ヒマラヤ越えの最初の目的地ギャンツェに向けて出発した。ドライバーはチベット族のワンゲン。赤黒い肌をした恰幅のいい男で、しかめっつらの鋭い表情をサングラスで隠していた。ラサを去るとき、ポタラ宮の前を過ぎたら「サヨナラ、ポタラ!」と知っている日本語を使って車内を和ませてくれた。ワンゲンは走り始めてからしばらくの間、「オム マニ ペメ フム」とマントラを繰り返し唱えていた。

チベットからヒマラヤを超えてネパールへ降りると言うのは、実際に実現できるかどうか定かでなくて、行き当たりばったりでラサまで来てたので、なんとか次の目的地に行けることになり、不安だが嬉しかった。

ヤムドク湖 カンパ峠

ラサから1時間半、標高4,794mのカンパ峠(カンパ・ラ)で車を停めて、ヤムドク湖(ヤムドク・ユムツォ)を眺める。広大なチベット高原の谷間に広がるヤムドクは、チベット三大聖湖の1つとされていて、チベット語でターコイズを意味する。

ヤムドク湖 ノジンカンツァン

ヤムドク湖の遥か先のヒマラヤの向こうにはブータンがある。湖の畔には畑が広がっていて集落があった。主食のツァンパの原料のハダカ麦や小麦が主に栽培されているそう。

15時過ぎ、出発から6時間ほど進んだところで他の旅人の乗ったランクルと落ち合う。天候や情勢が不安定なので、ドライバーたちは移動の情報交換をしていた。

標高4,000mを超える地で土を耕す農夫。

ドライバーのワンゲンはタバコの似合う男だった。いつもKENが一緒に一服してくれるので、ほとんど言葉は通じないが嬉しそうだった。中国ではタバコを吸っている方が旅は上手くいくのだとKENを通じて知った。

舗装路を走れない区間では、道なき道を進むことも多く、ランクルじゃないとダメな理由がよく分かる。

ギャンツェ 通り

ラサを出発して8時間後の17時にギャンツェに到着した。古くから交易の要衝として栄えたギャンツェは、ラサ、シガツェに次ぐチベット第3の町で、岩山にそびえるギャンツェ・ゾンという城塞や、パンコル・チューデというチベット寺院で知られている。あまり大きな町ではないが、中心部は人出も多く賑やかだ。ホテルにチェックインして荷物を降ろし、早速パンコル・チューデに向かった。

パンコル・チューデ

パンコル・チューデは、ギャンツェ王が1418年に建設を始めて1425年に完成させた寺院で、境内にはパンコル・チョルテンという大きな仏塔がある。文革でほとんどの宗教的建造物が破壊されたが、この仏塔は破壊を免れたそうだ。

パンコル・チョルテン

最上部にブッダの目が描かれたパンコル・チョルテンは、8階13層で構成された高さ34mのチベット最大の仏塔。右回りにらせん状に階段を登って巡礼(コルラ)できるようになっていて、これは密教の経典(タントラ)が完成するプロセスを辿るようになっているらしい。

各階の小部屋は薄暗く、ライトがないとよく見えないが、壁画や無数の仏像などが置かれていて、仏教美術の博物館のようだった。チベット仏教の濃密な世界にトリップしたような感覚になる。日が暮れて冷たい雨が降ってきてしまったので、後半は急ぎ足で回ることになった。

パンコル・チョルテンから眺めるギャンツェの街並み。山の上の古城が幽玄な雰囲気を醸し出している。今日は日が暮れてしまったので、明日の朝、古城ギャンツェ・ゾンまで登ることにして宿に戻った。

宿泊したJian Zang Hotelという二つ星ホテル。TV、シャワーに加えて久しぶりにバスタブのあるダブルの部屋が180元(約2,700円)だった。標高4,040mの寒い夜に温かいお湯に浸かって疲れを癒すことができたのは最高だった。TVでは大阪で行われている世界陸上が放送されていた。