チベットの聖地ラサ、ジョカン寺とポタラ宮

ラサ ポタラ宮 Potala

ユーラシア大陸中央部に広がる世界最大の高原、チベット高原の南部、標高3,650mにあるラサ(ལྷ་ས、拉薩)は、7世紀から続くチベットの古都。チベット仏教の中心地で、17世紀に建てられたダライ・ラマ14世の居城、ポタラ宮の姿がよく知られている。

吉日旅館 Kirey Hotel Lhasa

ラサで宿泊した吉日旅館(Kirey Hotel)は、ダブルが一部屋60元(約900円)の安宿。チベットを旅するバックパッカーが世界から集まっている。敷地内にあるツアーデスクで各地へのパーミットの申請やランクルツアーの手配ができる。チベット自治区では地方に行く際、検問所があり、パーミットがないと通行することができない。

Lhasa street

チベット到着の翌日、ポタラ宮の入場整理券を手に入れるため、ポタラ宮の西門まで歩いた。ラサは富士山頂とほぼ同じ標高で空気が薄く、通りを少し歩くだけでも息切れしてしまう。

二日前に同じ宿に着いた日本の学生が急性高山病になり、泡を吹いて倒れて病院に搬送されたと聞いたので慎重に行動した。商店では高酸素を謳ったミネラルウォーターや携帯酸素缶が売られている。

ポタラ宮の前で五体投地をする人々

ポタラ宮の前まで行くと、たくさんの人が全身を使った「五体投地」で祈りを捧げていた。

チベット仏教は、7世紀始めにチベットを統一したソンツェン・ガンポ王が、当時仏教国だった唐(中国)とネパールからそれぞれ妻を迎えたことで伝わり、それまでチベットで広まっていたボン教と共にこの地に浸透した。モンゴルにまでチベット仏教が伝わった13世紀以降は、軍事国家から僧院国家へと変わり、それは政教一致のダライ・ラマ政権につながる。中国最後の王朝となる清と共にチベット仏教圏は拡大していった。

清の滅亡後、チベットは独立を求めていたが、1949年に成立した中華人民共和国はチベット領有を宣言した。しかし、宗教抑圧を恐れたチベット政府がそれに応じなかったため、中国共産党はその翌年チベットに軍隊を送り軍事力を行使した侵略を始めた。虐殺や処刑、強制収容所での死亡、餓死など、1980年以前までに100万人以上のチベット人(チベタン)の命が失われたとされている。

世界が混乱していた時代にチベットで起きていた問題は、日本の教科書が伝えてこなかった歴史だ。高校生の時に映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を観なければチベットについて知らずに過ごしていたと思う。

インドに亡命中のダライ・ラマ14世の自伝を読み終えたばかりということもあり、宗教を抑圧されただけでなく、鬼畜のようなやり方で多くの同胞を殺害されたチベタンの過去が不憫でならなかった。

ラサ チベット族 老人 マニ車
ラサ チベット族の女性
ラサ チベット族の男性 マニ車
ラサ 大きなマニ車を持つ人

ラサの街中では、手に持ったマニ車(マ二コル)をぐるぐる回転させたり、数珠を爪操りながら歩いている人の姿が多い。マニ車は、円筒部分に経典が納められており、これを回転させればお経を読んでいることになるという、チベット仏教の便利アイテム。

ラサの旧市街バルコル

ラサの旧市街バルコル(八角街)の中心部は、たくさん屋台や土産物屋で賑やかだった。リーベンレン(日本人)のバックパッカーに対してはあまり商売っ気がない。

8月ということもあり、日中は一枚羽織っていればちょうどいい気温。しかし乾燥していて埃っぽいので、喉がやられやすい。僕は到着三日目に風邪をひいた。

ラサの旧市街バルコル アクセサリー屋台

チベット族は、アクセサリーなど身につけるものを大事にするらしい。特に緑色のトルコ石(ターコイズ)が古くから珍重されているそうだ。赤色のコーラルを使ったシルバー製品も多い。どちらもシルクロードを通じて交易品として運ばれたもの。

屋台の店主に「タシデレ」(こんにちは)と声をかけ、電卓を叩きながら身振り手振りで値段交渉してターコイズのシンプルな首飾りを買った。チベット語でありがとうは「トゥジェチェ」。

ラサ バルコル

バルコルは、ラサの中心にある寺院ジョカン(大昭寺)の周囲をぐるりと囲んでいる。巡礼者向けでもあり、数少ない観光客向けでもある。

ラサ バルコル コルラ 人々

チベット仏教では、寺院や仏塔などを右回り(時計回り)歩くコルラという巡礼を行うが、ここバルコルでも人々は右回りに歩いてジョカンをコルラしていた。

バルコル チベタン 僧

若いチベタンの僧。ドラゴンボールの天下一武道会に出てきそうな出立ちで、めちゃくちゃカッコいい。

ラサ ジョカン 全景

ジョカン(チベット語でトゥルナン)は、チベット仏教徒にとって最も聖なる寺院。チベット各地からラサに来る巡礼者は、このジョカンに詣でることを目的としている。

ジョカン 香炉 香草

ジョカン周辺では、巨大な香炉でサンという香草が焚かれ、独特な匂いが漂う。

ジョカン 巡礼者 五体投地

ジョカンの前で巡礼者が五体投地をする。この寺院は、ソンツェン・ガンポ王の死後、ネパール人妻のティツンが王を弔うために建てたとされていて、王妃の故郷ネパールの方角を向いている。

ジョカン マニコルの回廊

70元を支払って入ったジョカン境内。大きなマニコルの回廊が建物を囲う。

ジョカン内部 バターロウソク

ジョカン内部はたくさんのバターロウソクが灯され、むせかえるような匂いが充満していた。巡礼者たちはヤク乳のバターオイルを注いで火を絶やさないようにしている。

ジョカン 内部 回廊
ジョカン 釈迦牟尼像

巡礼者たちは、国宝級の仏像に囲まれた薄暗い回廊を、マントラを唱えながら密になって進む。中心部にある釈迦牟尼像の前では、巡礼者が一心不乱に祈りを捧げていた。

ジョカン 内部 吹き抜け

ジョカン中央部の吹き抜けになった場所は、チベット各地から集まった巡礼者たちが座布団を敷いて体を休めていた。

ジョカン 屋上

ジョカンの屋上に登ると、暗く密な内部とは一転、眩しく開放的だった。

ジョカン 屋上 僧

屋上にはちょっとした売店もあり、ご利益のありそうなチベット仏教グッズをいくつか購入した。後から知ったがジョカン屋上の店はボラないらしい。何か行事があるのか、たくさんの僧が集まっていて賑やかだった。

ジョカン前の広場

ジョカンの屋上からは、ジョカン広場や遠くにポタラ宮を見ることが出来た。1987年9月と10月、中国の建国記念日にこの場所でチベットの自由を求めたデモ隊が中国の武装警察によって命を落とし、多数が検挙されて強制収容所送りになっている。

ポタラ宮 入り口

夕方16時、入場整理券の時間に合わせてポタラ宮に移動した。ラサの西、標高3700mのマルポ・リという丘に建てられたポタラ宮は「偉大な5世」と称されるダライ・ラマ5世が17世紀に建てた巨大な宮殿で、歴代ダライ・ラマの住居であり、チベットの政治と宗教の中心だった。ダライ・ラマ14世の亡命後は中国によって博物館化され現在に至る。「ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群」として世界遺産に登録されている。

ポタラ宮 白宮 階段

ポタラ宮は、高さ117m、幅400mという世界最大規模の建築物。下まで来るとその大きさに圧倒される。空気の薄い中、長い階段を登って入り口まで進んだ。

ポタラ宮 階段

ポタラ宮の中に入る前に、2度のパスポートのチェックと金属探知機、手荷物のX線検査があった。ポタラ宮には2000以上の部屋があるとされているが、実際に見て回ることができるのはその一部。建物の内部は、写真撮影が禁止されていて監視員が目を光らせている。

ポタラ宮の屋上テラス

ポタラ宮の白宮にはダライ・ラマ14世の寝室、居間、瞑想室などが当時のままの状態で公開されていた。壁から柱まで金箔を使った壁画や極彩色の装飾が施されとにかく派手だ。その後、4層建ての紅宮を上層から順に見て回った。紅宮には歴代ダライ・ラマのミイラを収めた巨大な霊廟、無数の仏像、お堂などがある。メインの霊廟ザムリン・ギェンチクは、高さ17.4m、黄金3,700kgを使ったダライ・ラマ5世の霊塔で、偉大な5世と言われる権力をサイズで物語っていた。

ポタラ宮 北京中路 白塔

ポタラ宮の前の大通り、北京中路に建つ白塔からの一枚。ここから眺めるポタラ宮の姿が、中国人民元の50元札の絵柄に使われている。THE観光地のポタラ宮と、僕ら観光客の存在などないかのように、祈りを捧げるジョカンでの人々を見て、チベットの一部を垣間見たような気がする。

チベット自治区では、ダライ・ラマ14世の写真を持っているだけで逮捕され、収容所送りになると聞いていたが、本当に町中のどこにもダライ・ラマ14世の写真がない。代わりに、第2位の地位にあるパンチェン・ラマ10世の写真をよく目にした。僕は、表紙に14世の写真が載った『ダライ・ラマ自伝(文春文庫)』をバックパックに忍ばせていたので、見つからないか心配だった。