チベット横断② ギャンツェからティンリ

ギャンツェ・ゾン

チベットの古い町ギャンツェに到着した翌朝、街の中心にある岩山に築かれた古城「ギャンツェ・ゾン」に登った。

ギャンツェの町並み

ギャンツェ・ゾンの最上部から眺めるギャンツェの町並み。ギャンツェは肥沃な穀倉地帯を糧に交易の町として栄え、かつてはチベットとシッキム(インド)を結ぶ交通の要所でもあった。

チベット寺院パンコル・チューデ

過去に取り残された城とは対照的に、今でもギャンツェの中心的存在なのは、チベット寺院パンコル・チューデ。かつては背後の岩山にも僧院が建てられていいて、宗派の異なる2000人以上の僧が暮らしていたらしい。

ギャンツェゾンから眺める町並み
ギャンツェの民家

コの字形に中庭を囲んだ二階建ての家がチベットには多い。どの家の屋上にもタルチョが掲げられている。

チベット ハダカムギ麦畑

ギャンツェの町の西側には、チベットの主食であるツァンパや、チベットで飲まれるお酒の原料になるハダカムギ麦の畑が広がる。

ギャンツェ・ゾン 宮殿

海抜4,040mにある岩山の上に建てられたギャンツェ・ゾン。城内は一部が修復されている以外は朽ちていて足場が悪い。薄い空気のなかで最上部まで登るのは大変だった。体がチベットの高地に順応していなかったらきびしかったと思う。

チベットのタルチョ

朽ち果てた古城で風に揺られるタルチョ。この旗がなびくことでお経が風に乗って読まれたことになるので、タルチョは建物の一番高い箇所や山の頂上などに掛けられている。

ギャンツェ・ゾンの階段

ギャンツェ・ゾンは、9世紀中頃にチベットの王の息子によって原型が建てられ、14世紀になると城壁や宮殿、寺院を備えた城塞となり、チベット第三の都市と言われるほどに栄えたギャンツェのシンボルとなった。しかし、1904年7月、鎖国を続けていたチベットに開国と貿易を求めて侵攻したイギリス軍によって半日で没落してしまう。

ギャンツェ・ゾンの岩山

激戦の舞台となったギャンツェ・ゾンの岩山。戦闘のあった当日、雨に濡れた岩山が滑るので、下から登るイギリス軍とグルカ兵は、上から攻撃するチベット兵の砲火に苦労したらしい。しかし戦力で劣るチベットは大きな被害が出る前に降伏。ギャンツェ・ゾンの落城によってイギリス軍にラサ侵攻を許すことになった。

ギャンツェの町並みと犬

ギャンツェはラサに比べると規模も小さくて、田舎町の落ち着いた雰囲気。古城の見学を終えた僕らは、再びランクルに乗り込んで、次の目的地シガツェに向かった。

ギャンツェからシガツェへの移動

ギャンツェからシガツェへの移動中、家畜のヒツジとヤギが道路を塞いでいた。朝から山登りをして疲れていたので、車の中でウトウトしていたらすぐにシガツェに到着した。

シガツェのタシルンポ寺の全景

シガツェ(海抜3,836m)は、チベット自治区の中央に位置するチベット第2の都市。歴代パンチェン・ラマを祀ったタシルンポという巨大な寺院を中心とした町だ。55人民元(約830円)の払ってタシルンポの境内を回った。

タシルンポ寺
パンチェン・ラマ10世の霊塔

パンチェン・ラマ10世のミイラが眠る巨大な霊塔。ダライ・ラマ14世がインドに亡命した頃、北京では師弟関係だったパンチェン・ラマ10世が中国共産党に政治利用されていた。霊塔はその10世が1989年に急逝した際に中国政府が金500kgと国費を投じて作った非常に豪華なものだが、10世はその中国政府に暗殺されたともされていて、闇が深い。

タシルンポ寺 世界最大 弥勒菩薩像

タシルンポ寺の弥勒殿には、高さ26.7m、世界最大の弥勒菩薩(みろくぼさつ)の金銅像があり、200kg以上の金で覆われている。若い僧に20元札を渡して写真を撮った。高さ18mの東大寺の大仏でも圧倒されるほどのサイズだが、チベットの仏像はそれを優に超える大きさだ。

チベットの仏画
タシルンポの壁画

タシルンポ寺には色鮮やかな壁画がたくさん残されていた。

タシルンポの境内

タシルンポ寺もラサのデプン寺のように境内がひとつの町のようになっている。全盛期には4000人以上の僧が住んでいたとされるが、2007年の時点で僧の姿は数百人程度。

タシルンポのタンカ台

境内の建物で一際目を惹く巨大なタンカ台。一年に一度、タンカと呼ばれるチベット仏教の巨大な掛け軸を掛ける開帳式が行われる。

シガツェの犬と派手な扉
シガツェのレストラン

シガツェはタシルンポを見学して、昼食をとった。ひとり25元(380円)で少し高め。再びランクルに乗り込んで、次の目的地ティンリへと向かった。

チベット ランクルの車窓から

ランクルは荒涼としたチベットの大地を進むが、時折、鮮やかな菜の花畑の中を進む。菜種は食用にされるほか、菜種油が燈明としても利用されている。

シガツェからティンリまでの道

シガツェからティンリまでも舗装されていて快適な移動だった。チベットの空は青く、これまで見たどこの空より深い青だった。青蔵鉄道は四川省の成都からラサまで通っているが、今後はネパール国境近くまで延長する予定があり、近い将来この中尼公路の横に線路が敷かれることになるそうだ。

上海から5000kmのモニュメント

途中、上海の人民広場から5000kmのモニュメントがあった。チベットで中尼(中国・ネパール)公路と呼ばれる道は、上海から重慶、四川を経由してネパール国境まで続く国道318号線(G318)の一部。国道318号線は中国最長の国道で全長5476kmもあるとされている。

チベット辺境の子供達

チベットの辺境の子供達。ランクルから降りた僕らに人懐っこく集まってくる。

ラクパ・ラ 峠

シガツェを出発して約3時間、中尼公路で最も高いラクパ・ラの峠で車を降りて海抜5,248mの石碑の前で記念写真を撮った。

ラクパ・ラの峠からのヒマラヤの眺め

ラクパ・ラの峠は遠くにヒマラヤが見える素晴らしいポイントだったが、薄い空気と強風で10分も外に立っていることができなかった。しかし、信じられないことに、こんな場所でも訪れる旅行者を目当てに金銭を求める物乞いがいた。

チベットの検問所

シガツェから約4時間半、途中で検問所があり、小銃を携えた公安の指示で僕らは全員車から降ろされた。許可証を持たずにここを通過しようとして見つかると、ラサまで強制的に送り返されたり、多額の賄賂を求められることがあり、闇バスに乗ってネパールを目指すバックパッカーの難関だったらしい。小さな建物の中でパスポート番号と名前を記入し、何事もなく通過することができた。

中尼公路
中尼公路から眺めるエベレスト

ティンリに到着する直前、中尼公路からエベレスト(チベット名:チョモランマ)を見ることができた。雲がかかり山頂が見える程度だったが、生まれて初めて見る世界最高峰だった。

ティンリの町並み

ギャンツェからシガツェを経由して7時間でティンリ(海抜4,390m)に到着した。中尼公路沿いに数件の宿や飯屋が並んでおり、町と呼べるほどの規模ではないが、ここで一泊して明日チョモランマベースキャンプ(エベレストベースキャンプ・E.B.C)に向かう。

ティンリで走り回る子供達

ギャンツェやシガツェと比べても人の数も少なく、町も寂しい感じだが、立ち寄った飯屋の主人がすごく陽気で楽しい方だった。簡単に後戻りできないほど遠くに来てしまったが、子供たちが元気に走り回っている姿を見てほっとした。

ティンリの宿は1ベット35元のドミトリーだった。昼間の太陽光パネルの蓄電で電球を灯す程度しか電気がない。水道も通っておらず、手洗いは外に置かれたドラム缶に溜められた雨水を利用する。外にあるトイレはボットン式のニイハオトイレで、トイレじゃない場所でするほうがマシな位だった。大昔の旅人になったような気分だ。夜になると急激に冷え込んだ。