カンボジアの心臓、トンレサップ湖

シェムリアップの街並み

ゲストハウス主催の3日間で50USドルのツアー最終日。今日はシェムリアップにあるトンレサップ湖へ向かう。

トンレサップへの道

アンコール王朝を支えたトンレサップ湖は、乾季は面積が約2,500k㎡前後で琵琶湖の4倍ほどのサイズだが、雨季でメコン川の水量が増えると、湖にメコン川の水が逆流してくるため、面積が1万6000k㎡以上に広がる東南アジア最大の湖。カンボジアの心臓とも言われるトンレサップ湖は、周辺の豊かな自然環境を作り出し、豊かな水と漁業資源は、カンボジアの人々の生活を支えている。

トンレサップのボート乗り場

トンレサップ湖のボート乗り場までは町からトゥクトゥクで約40分。小柄なチャラめの青年が案内してくれた。15人は乗れる大きなボートに乗客は僕ら二人だけ。2時間のチャーターで料金は20ドルだった。

トンレサップで遊ぶ子供たち
広大なトンレサップ湖

雨季のトンレサップ湖には、チベット高原を水源に中国から東南アジアを縦断してきた肥沃なメコンの水が流れ込む。乾季にメコン川から孤立すると、雨季の間にストックされた魚が大繁殖し世界有数の豊かな淡水漁場となる。今は乾季と雨期の境目だが、この後、雨季になると湖面は、5メートルも上昇し、東京、神奈川、埼玉、千葉がすっぽり収まってしまうほどの面積になるそうだ。

トンレサップの湖上の家
トンレサップのボートハウス
トンレサップ 湖上の小学校
湖上の豚小屋

茶色く淀んだ水の上をしばらく行くと、湖上の村に到着した。人々がボートに乗って行き来する浮き村には、商店や食堂、寺院や教会、豚小屋や鶏小屋などがあった。学校の前には、生徒たちが通学に使うボートが停まっていた。

トンレサップの人々
トンレサップの家族

水の上で生活するなんて考えられないが、この湖に住む人たちからすれば、コンクリートで固められた都市で土を踏むことも水に触れることもない僕らの生活も考えられないだろう。

トンレサップ湖畔の市場

湖畔のマーケット。野菜や米などを魚と物々交換していた。

トンレサップ 湖上の集落全景

湖上の集落には、1万人ほどが生活していて、こういった集落がトンレサップ湖全体に100以上あるとのこと。ボートの若いガイドの話だと、トンレサップ湖には、不法に滞在するベトナム人も多いそうだ。内戦時に北ベトナムに追われた南ベトナムの人々が難民として住み着いたのだと思われる。好きでここに住んでいるわけではない場合もあるということか。

トンレサップのワニ
トンレサップ 魚の生簀

湖の大きな生簀には、無数の魚が囲われていて、餌を投げ入れるとバシャバシャ飛び跳ねる。これだけのサイズの魚がいくらでも採れるのだから、やはり豊かな湖なのだろう。トンレサップに生息するワニも飼育されていて、日向ぼっこしていた。

トンレサップのボートと淀んだ水
たなびくカンボジア国旗
湖上にたなびくカンボジアのフラッグ

ワット・トメイ (キリングフィールド)

湖からの帰りに立ち寄ったワット・トメイという寺院。ポルポト政権下のカンボジアでは国民の3分の1が殺された。この寺院は大量虐殺の現場でキリングフィールドの一つとされている。1975年から数年間の間にここで処刑された人々の無数の人骨が境内に積まれている。ジリジリと日差しを浴びながら悲しさと虚しさだけが残った。

シェムリアップ トゥクトゥク
シェムリアップの市場
シェムリアップの市場 プサー・ルー
混雑したプサー・ルー市場
プサー・ルー市場 豊富な食材が並ぶ
プサー・ルー市場 マンゴスチンやランブータン

町に戻ってからシェムリアップで一番大きいという近くの市場プサー・ルーへ行った。夕方だったということもあり真っ直ぐ歩けないほど混雑ぶり。やはり市場は活気があって面白い。ここではトンレサップ湖で捕れた新鮮な魚介類や野菜・果物のほか、携帯電話や電化製品、金製品なども売られていた。150ドルあれば銃も買えるというから恐ろしい。

市場からゲストハウスに戻ると、宿の仕事を手伝っている女の子やその友人たちが集まって外でバーベキューをしていたので、僕らは少しのあいだ仲間に入れてもらった。英語が通じないのでカンボジア語で簡単な自己紹介くらいしかできなかったが、楽しいひと時だった。

夜、ゲストハウスで日本人のバックパッカーと出会った。健康的で感じのいい23歳の彼はまだ旅を始めたばかりだが、これから1年半~2年という長期間の予定で世界を旅するのだそうだ。ちょうど日本を出発したのが同じ時期ということもあり、旅のビギナー同士いろいろと情報交換をした。