パシュパティナート、死者の煙が立ち込めるヒンドゥー教シヴァ神の寺院

パシュパティナートのシヴァ神

パシュパティナート(Pashupatinath)は、カトマンズの中心部から徒歩で1時間の距離にある寺院で、インドのガンジス河の支流とされるバグマティ川に囲まれた小高い丘の麓にある。
ヒンドゥー教の最高神シヴァを祀るこの寺院は、四大シヴァ寺院のひとつに数えられている。その歴史は400年以上とも言われ、特に「パシュパティ(獣の主)」の姿としてシヴァを信仰するパーシュパタ派にとっての聖地だ。シヴァは破壊神でありながら再生を司る存在でもあり、この寺院は単なる礼拝の場ではなく、輪廻や再生を体現する象徴でもある。

パシュパティナートの入り口

寺院の入り口には、青い肌に虎の腰巻を纏い、三又の槍を手にしたシヴァ像が鎮座している。異教徒である僕は寺院の中には入れないが、聖なるバグマティ川に面した火葬ガートや広大な境内を巡ることができる。

パシュパティナート 火葬場

火葬場では、死者を燃やした煙が立ち込めていた。ヒンドゥー教徒には墓がない。死は終わりではなく、一つの通過点にすぎないと信じられているからだ。炎の中で骨となり灰となり、川の流れに還り、輪廻転生という永遠のサイクルの中に溶け込む。煙は風に乗り、空へと消えていく。死者が残すものは何もない。墓も碑もないが、死は終わりではなく、新たな生に続いていく。

墓があって、お供えをして、彼岸があって、お盆にはご先祖様の霊があの世から帰ってくるとされる日本の死とはまるで違う。死との向き合い方がこうも変わるのかと思ったが、死者を想う気持ちや死者との思い出が残る世界で幸せに生きようとするのは一緒だ。火葬の煙も線香の煙も、生者の鼻をかすめて、同じ風に乗る。

パシュパティナート 子供達

死者が焼かれるそのすぐ裏では、恋人たちが語らい、子供達が賑やかに遊んでいる。

パシュパティナート 空手

火葬場から上に行くと、「いち、に、さん!」と日本語のいう掛け声が聞こえてきた。境内の大きな木の下で空手の稽古をしていたのだ。

ネパール 空手

すぐ下では死者が燃やされているのに、上では生の叫びが響いている。ヒンドゥーの世界では、生と死が当たり前に存在していると言われるが、ここに来てそれを身をもって感じた。

パシュパティナート サドゥー
パシュパティナート ヒンドゥー寺院の鈴
パシュパティナートの猿
パシュパティナートの石碑
パシュパティナートの古い建物
シカラ型の寺院
パシュパティナート 森の中の寺院
パシュパティナート ガルーダの彫刻
パシュパティナート 境内の牛
パシュパティナート 境内の猿
パシュパティナート バグマティ川

シヴァ寺院パシュパティナートの周辺には、ヴィシュヌやラクシュミーといった他の神々を祀る寺院や歴史的な建造物が数多くあり、東南アジアやチベットとはまた違った宗教観を垣間見ることができた。人が焼かれ、恋人達が肩を寄せ、子供たちが遊ぶ。ヒンドゥー教の多様性と寛容さが、この場所に凝縮されているような気がする。

カトマンズ バグマティ川

寺院の裏手に回ると、喧騒から離れた静かな景色が広がっていた。火葬場を流れるバグマティ川の上流側では、牛が草を喰み、その横で男の子たちがフルチンで水遊びをしていた。

パシュパティナート
パシュパティナート 火葬 ガート

火葬場で話しかけてきた自称ガイドの男が「人は3時間で灰になる」と言っていたが、その言葉に何とも言えない現実感があった。日が沈む頃、寺院を後にし、帰りはタクシーでタメルまで戻った。

カトマンズ スワヤンブナート 夜景 ライトアップ

夜は成都で出会い、チベットからネパールまで共に移動した学生のアツシとの最後の晩を過ごした。夏休みを利用して中国からインドまで陸路の一人旅をしている彼は、この後インドのデリーまで行き、日本へ帰って学生生活に戻るそうだ。

僕は旅に出る前の計画では、ネパールはチベットからインドへの通過点としか考えていなかったが、もう少し長く滞在したいと思うようになっていた。バンコクの安宿で出会った旅人が、ネパールのポカラという町から見た魚の尾の形をした山の写真を見せてくれたのが強く印象に残っていたので、カトマンズの次はポカラに行くことに決めた。