香港島と香港の歴史

香港島のトラム
香港等のオフィス街
構想ビルの間を縫うように走るトラム

香港島まで九龍からフェリーで渡ると、同じ香港でも雰囲気が違う。トラムと呼ばれる二階建の細いバスがタクシーやトラックと一緒にオフィス街を走っていた。

香港島のマンション群
香港島の街並み
香港 マンション 竹の足場

香港では、高層マンションやビルの建設工事の足場が鉄パイプではなく、竹で組まれていた。鉄よりも軽くて扱い易く値段も安い竹は、高音多湿の香港ではよく締まって丈夫になるそうだ。竹で足場を組む国家資格もあるらしい。

香港 家族 シャボン玉
香港島のカフェ
セント・ジョンズ大聖堂 (1849年創建 )

1997年7月1日に英国による150年あまりの統治から中国側へ主権が返還され、香港は今月1日に返還10周年を迎えたが、今でも統治時代に作られたキリスト教教会などが数多く残っている。そういった統治時代の面影を残す建物をいくつか見て回った。

香港 蓮の花

香港という地名は紀元前に伽羅(きゃら)という香木の栽培や積み出しを行う貿易港だったことに由来する。

清の時代にイギリスの東インド会社とのアヘン貿易で国がダメになり、貿易を中止したら、イギリスがキレてアヘン戦争になった。1842年の敗戦後にイギリスが統治し、何もなかった香港島北岸に街を築いた。街にはイギリスの貿易商社が集まり、職を求めて中国人やインド人も増加、貿易港として発展した。

1912年の辛亥革命で清が滅亡し、アジア初の共和国「中華民国」が誕生した。イギリスに統治されていた香港は1941年の日中戦争中に真珠湾攻撃と同時に日本軍に侵略され、激戦の末、日本軍に占領された。日本に経済をめちゃくちゃにされた香港からは当時の人口の半数を超える150万人が中国本土に退去したという。日本軍は公用語だった英語の使用を禁止して日本語を強制したり、民間人やイギリス人看護師を強姦するなど、太平洋戦争で敗戦するまでやりたい放題やっていた。

香港島 幹線道路
香港 LIPPO
香港 海面

広東省南部の九龍半島と香港島などからなる香港には2006年時点で685万人が住んでいて、これは世界で最も人口が密集した地域のひとつなんだそう。国際的な観光都市として、毎年1,300万人以上もの観光客が訪れる。そのうち日本人は1割、中国からの観光客が3割を占めるという。2005年に香港ディズニーランドがオープンしたが、多くの観光施設の建設が予定されているらしく、僕らが歩いた沿岸部でも大規模な埋め立て工事がされていた。