漓江下り 桂林(グイリン)から陽朔(ヤンシュオ)へ
桂林は、秦の時代(前905年-前102年)に始皇帝が築いた運河のある町。カルスト地形の特徴的な山々の景観で知られ、桂林から陽朔までの「漓江下り」は、世界有数の川下りコースとして知られている。
長距離バスで出会った地元の閻さんが手配してくれたモーターボートに乗って、漓江下りに出発した。料金は一人400元(約6,400円)。
鵜飼いの漁師が竹の筏に乗って漁をしていた。鵜飼いは漓江の伝統的な漁法で500年以上の歴史があるそうだ。
小さな集落を過ぎたと思えば、水牛が水浴びをしていて、ダイナミックな光景が流れる。東南アジアでも田園地帯では水牛をよく見たが、桂林でも稲作の動力源になっているそうだ。
夏の漓江、大型の観光船が何隻も航行する。
石灰岩の山々が気の遠くなるような歳月をかけて雨水に溶食されて出来たカルスト地形が広がる桂林は、古くから「山青し、水清し、石美しく、洞窟奇異なり」と詠われ、中国屈指の名勝地として知られている。漓江下りで眺める景色はイメージする山水画そのもの。
漓江下りの後半、モーターボートで川の畔に降ろしてもらった。ここは、中国人民元の20元札に描かれている黄布倒影(ホワンブーダオイン)という場所。中国元の紙幣の絵柄をしっかり見ていなかったので、財布から取り出した20元札と同じ景色が目の前に広がっていてテンションが上がった。
2元(約32円)で鵜と一緒に写真を撮らないかと寄ってきた女性を逆に撮影させてもらった。目の前にするカワウは結構大きく、水かきの脚も力強い。トルコ石のような色の目が印象的だ。
3時間後、漓江下りの小型ボートは、陽朔(ヤンシュオ)に到着した。閻さんによると、陽朔は外国人にも人気の町で、外国語教師の仕事をしながら暮らす欧米人も多いそうだ。石畳の敷かれた町の大通り西街(シージエ)は、西洋人が多く住み着いていることから洋人街とも呼ばれていて、「フランス語でもドイツ語でもノルウェー語でも、勉強したければネイティブの先生が見つかります」と閻さんが言っていた。
陽朔でも土鍋の飯屋で昼食をとった。豊富に並んだ食材のなかから食べたいものを指差すと中華鍋でさっと料理してくれる即席ランチ。ビールを飲んでほろ酔いのまま町を歩く。
閻さんの提案で自転車に乗って、郊外の高田郷と呼ばれる場所まで行くことになった。外国人料金は高いからと言って人民価格で自転車を借りてくれた。
陽朔を自転車に乗って離れるとすぐに田園が広がっていた。この辺りでは二毛作で行われているそうだ。美しい景色の中で育った桂林の米は本当に旨い。
金猫山という山の岩肌でクライミングをしていた。陽朔周辺はクライミングの聖地として世界で知られているそうだ。
陽朔の町から自転車を40分ほど漕いで、目的地の高田郷に到着した。裏桂林とも呼ばれるこの辺りの景色も素晴らしく、漓江で大勢の観光客が筏に乗っていた。高田郷にある観光地化された大榕樹景区は、昨日、桂林で演劇を観た「劉三姐(リウ・サンジエ)」の映画の舞台になった場所で、この映画を「中国人で知らない人はいない」と閻さんは言っていた。外国人はあまり来ないが陽朔に来た中国人はここを訪れるそうだ。
高田郷の農村にて。山青し、水清し。
炎天下のなかレンタルした自転車で往復約30km、なかなかタフな観光だった。陽朔のスイカ屋で水分補給をした後、バスで桂林まで戻った。
桂林に戻ってから、地元で有名な羊肉鍋(羊肉爐、ヤンロウルー)のレストラン「多味羊肉馆」に連れて行ってもらった。羊肉を土鍋のスープで煮込んで、香辛料の効いたタレに付けて食べる。脂の乗った羊肉は臭みもなく柔らかくて美味しかった。
日本で羊肉料理と言うと、中国の旧満洲の時代に日本人向けに作られたジンギスカンをイメージするが、中国では羊肉の鍋をよく食べるそうだ。タレ漬けして焼いた羊肉串も屋台で日本の焼き鳥屋のように売られている。中国では羊肉と言ってもマトンやラムでなくヤギの場合が多いらしい。