アンコール遺跡群を巡る
遺跡ツアーの2日目。空に薄い雲がかかっていて比較的過ごしやすそうだ。フランスパンのトーストとコーヒーで朝食を済まし、今日もトゥクトゥクで出発。まずはアンコール遺跡群の東側にあるプレ・ループという遺跡へ向かった。
町から少し離れたジャングルの中にあるプレ・ループは961年頃に建てられたヒンドゥー教寺院。火葬場の役目を果たしていたらしい。急な階段を登ると3つの大きな祠堂があり、内部は天井まで吹き抜けになっていた。現在は仏教寺院として利用されているようだ。
次に向かったのはアンコール遺跡の中心から北東へ40km離れた郊外にあるバンテアイ・スレイ。遺跡群の中では珍しく、赤色砂岩が多用されたヒンドゥー教寺院。
967年頃以降にこの場所で建造が始まった寺院だが、1914年に発見されるまで密林の中に忘れられていたそう。規模はそれほど大きくないが、寺院の壁面を覆うように美しいヒンドゥーの彫刻が施されていて、アンコール芸術の傑作とされるのも納得の素晴らしい寺院だった。
遺跡見学の途中でアキ・ラー地雷博物館へ立ち寄った。アキ・ラーは、ポルポトを支えた武装組織の洗脳兵士だったが、脱走後、地雷除去活動家として、地雷や不発弾の除去、手足を失った孤児たちの支援をする世界的に知られる人物。アンコール遺跡周辺のホテルの建設予定地から対戦車地雷が見つかることもあるそう。30年前のカンボジアの負の遺産は、今でも年間何百という命を奪っている。
次に訪れたのは、1200年頃に建てられた仏教寺院のタ・ソム。内部は損傷が激しく木々や植物に覆われていた。
タ・ソム近くのニャック・ポアンは一辺70mほどのため池の中心に祠堂が建つ仏教寺院。治療施設として使われていたらしく、池には薬草が入れられ沐浴していたそう。
アンコール遺跡群の北部プリヤ・カーンは、クメール王朝の国王ジャヤーヴァルマン7世が亡き父親を弔うために建立した仏教寺院。かつては遺跡周辺に1000人規模の僧侶が生活していたという。ガジュマルの大木が遺跡に絡みついていて、人々に忘れられていた長い時の流れを感じずにはいられない。
自分と同世代のスタッフがアンコール遺跡群の中をトゥクトゥクで効率よく連れ回ってくれる。
アンコール遺跡群の東部にあるタ・プロームもジャヤーヴァルマン建てた仏教寺院。この遺跡もガジュマルに侵食されていた。
アンコールワットの北に位置するアンコール・トムにあるバイヨンは、ヒンドゥーと仏教の混合寺院。クメール語でバィは美しい、ヨンは塔を意味する。バイヨンは、高さ40mを越える中央祠堂を中心に、四面体の菩薩像が掘られた塔が49もあり、どこに立っても微笑みに囲まれた不思議な空間だ。
バイヨン寺院を囲む回廊には当時の人々の生活の様子が細かく彫られていた。
アンコール遺跡を二日間で駆け足で回ったが、日本が平安~室町時代だった頃にこれだけの大規模な仏教、ヒンドゥー教の石造建造物が建てられていたことに改めて驚かされた。この巨大な王都で実際に多くの人々が生活していたことを考えると、400年前に訪れた日本人がアンコールを祇園精舎だと思ったというのも頷ける。
世界遺産として有名なアンコールワットだが、この遺跡があるカンボジアという国は、20年にも及ぶ悲しい内戦が終わって間もない。町を歩けば貧困というものを目の当たりにするし、アンコール遺跡内では、ポストカードを売る幼い子供達が旅行客を取り囲む状態だ。頼んでいないのに僕らの前を歩き、後からガイド料をせがまれることもあった。過去にこの地に栄えた素晴らしいアンコール王朝の栄華に想いを馳せつつも、内戦から続く現在のこの国の状況を思うと複雑だ。